第4回 トーキーと映画新時代

*注釈*
※1『マダムと女房』
五所平之助監督の松竹映画。日本初の本格的なトーキー映画でもある。
郊外の静かな住宅地に引越して来た劇作家は、隣家のジャズがうるさく原稿書きがはかどらないため、隣家へどなり込む。ところが、その家のマダムの美しさにすっかり参り、一緒になって騒ぎ始める、という喜劇。生演奏のジャズ、ラジオから聞こえる声、猫の鳴き声、目ざまし時計の鳴る音などが次から次へと聞こえる、トーキーならではのにぎやかな作品。



※2プロデューサー・システム
プロデューサー(製作者、制作者)が中心になり、個々の作品に応じて、台本作家、演出家、俳優を始めとするスタッフ、キャストを選んで舞台、映像作品などを作るシステム。
当時日本映画界は、高い人気を持つ人物を起用し、その花形的人物がいることを大前提として作品制作やチーム編成、宣伝計画、さらには集客プランの立案などが行われるスター・システムだった。



※3山本嘉次郎(1902〜1974)
映画監督、俳優、脚本家、随筆家。P.C.Lではエノケン映画を数多く監督。中でも『エノケンのどんぐり頓兵衛』(1936)『エノケンのちゃっきり金太』(1937)は、数あるエノケン映画の中でも屈指の傑作と言われる。代表作に『馬』(1941)など。黒澤明、高峰秀子などを育て上げたことでも知られる。



※4成瀬巳喜男(1905〜1969)
女性映画の名手として知られており、とくに高峰秀子とのコンビによって多数の作品を手がけた映画監督。1920年に松竹蒲田撮影所に入社するも不遇だったため1934年PCLに移籍。『妻よ薔薇のやうに』(1935)などを監督し批評家から高い評価を受ける。代表作に『めし』(1951)、『浮雲』(1955)など。



※5黒澤明(1910〜1998)
「世界のクロサワ」と呼ばれる映画監督。1936年P.C.Lに入所。山本嘉次郎の下での助監督を務め、映画 『馬』などを担当後、1943年『姿三四郎』で監督デビュー。代表作に『生きる』(1952)『七人の侍』(1954)など。数多くの映画作家などに影響を与え、作品の中で模倣されたものも多数。1999年には米週刊誌『タイム』アジア版で「今世紀最も影響力のあったアジアの20人」に選ばれた。



※6小林一三(1873〜1957)
阪急電鉄、阪急百貨店、東宝の創業者。鉄道事業、宅地開発、百貨店、映画、電力、肥料など実に多くの事業を手がけ、成功に導く。また、商工相・国務相などを歴任。



※7榎本健一(1904年〜1970年)
「日本の喜劇王」と呼ばれ、喜劇映画の黄金時代の中心的存在だった俳優。第二次世界大戦期前後に活躍。P.C.L映画での第一作『エノケンの青春酔虎伝』(山本嘉次郎監督)は、トーキー初期のヒット作となる。「エノケン映画」は外国曲をふんだんに取り入れるモダンな感覚と親しみやすいキャラクターで、昭和初期の映画界において一世を風靡した。



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