第3回 無声映画の発展

*注釈*
※1大正デモクラシー
日本で1910年代から1920年代にかけて(概ね大正年間)に起こった、政治・社会・文化の各方面における民主主義、自由主義的な運動、風潮、思潮の総称。

※2阪東妻三郎(ばんどう つまさぶろう)(1901〜1953)
歌舞伎俳優から大正12年(1923年)にマキノ映画に入社。22歳で初主演を飾った『鮮血の手形』以来、200本を超える映画に出演。大正末年から昭和初年にかけての剣戟ブームを生み出した日本の代表的剣戟俳優。「剣戟王」(けんげきおう)とも呼ばれ、その大胆な殺陣で「乱闘劇のバンツマ」として一世を風靡。長男の田村高廣、三男の田村正和、四男の田村亮の3人は俳優。

※3市川右太衛門(1907〜1999)
歌舞伎俳優から大正14年(1925年)、18歳でマキノプロに入社。戦前・戦後を通して、時代劇映画スターとして活躍し、美剣士スターとして人気上昇。映画出演総数は320本にのぼった。昭和5年(1930年)に『旗本退屈男』に主演、以後当たり役として戦後東映時代まで31本製作された。戦後は東映の重役スターとして、片岡千恵蔵とともに東映時代劇の重鎮として活躍。次男は俳優の北大路欣也。

※4嵐寛寿郎(1903〜1980)
1925年(大正14年)、22歳で独立した市川右太衛門の後釜として片岡千恵蔵とともに「マキノ・プロダクション」に迎えられる。1927年(昭和2年)、「マキノ御室撮影所」製作の『鞍馬天狗異聞・角兵衛獅子』でデビュー。 一躍“鞍馬天狗”スターとなり、その後、数多くの“天狗映画”に出演しながら、もう一つの当たり役『右門捕物帳』シリーズにも主演。300本以上の映画に出演した、戦前映画界の大衆のヒーロー。従妹に女優・森光子。

※5片岡千恵蔵(1903〜1983)
片岡少年劇を経て昭和 2 (1927)年、24歳でマキノ映画に入社。同年のデビュー作『萬花地獄』(5部作)で人気急上昇。翌昭和3(1928)年に千恵蔵プロを設立、現代的なセンスの時代劇スターとなる。昭和17(1942)年、映画会社の戦時統合によって大映入りし、阪東妻三郎・嵐寛寿郎・市川右太衛門と共に大映の「時代劇四大スタア」に数えられた。終戦の翌年1946年から1960年まで計11本制作された『七つの顔の男』シリーズは、片岡千恵蔵扮する私立探偵・多羅尾伴内が七変化の変装をして事件を解決に導くというストーリーで、映画のクライマックスで千恵蔵が「ある時は○○、またある時は△△、しかしてその実体は・・・」と正体を明かす。それは後に、阿久悠作詞のピンクレディーのヒット曲「ウォンテッド(指名手配)」の歌詞の基となっている。

※6大河内傅次郎(1898〜1962)
サイレント時代から戦後にかけて活躍した時代劇スター。新国劇を経て大正15(1926)年、28歳で日活に入社。伊藤大輔監督とのコンビで『忠次旅日記』(1927)3部作の忠次に扮し、重厚な時代劇スターの座を確立。30歳の時に『新版大岡政談』(1928年日活)で初めて左膳を演じて以来、56歳となる『丹下左膳/こけ猿の壷』(1954年大映)まで26年に渡って16本の映画で左膳を演じ続け、名実共に彼の代表作となった 。

※7林長二郎(長谷川一夫)(1908〜1984)
昭和2(1927)年、19歳のとき林長二郎という芸名で松竹映画『稚児の剣法』で売り出してから、『雪之丞変化』その他で、水もしたたるその美男子ぶりでたちまち全女性の憧れの的となる。昭和12(1937)年東宝に移籍した際のトラブル後、本名の長谷川一夫と改めて映画出演を続け、「二枚目」の代名詞として戦後もトップスターの座に君臨した。 ☆阪東妻三郎、市川右太衛門、嵐寛寿郎、片岡千恵蔵、大河内傅次郎、林長次郎は六大剣戟スターとも称されました。

※8『鞍馬天狗』
映画『鞍馬天狗』は、大佛次郎の同名時代小説を映画化したもの。多くの俳優が鞍馬天狗を演じているが、アラカンこと嵐寛寿郎主演が最も有名で、彼主演では全40作が製作された。
鞍馬天狗は謎の勤王の志士。幕末の混乱期に乗じて起こる様々な事件を、白馬に乗って颯爽と現れ、圧倒的な剣の腕と義の心で解決する勧善懲悪ストーリー。 鞍馬天狗の「頭巾に覆面」は嵐寛寿郎主演における映画のために創られたイメージで原作とは異なる。この覆面ヒーローは、のちの“ヒーロー物”、月光仮面や仮面ライダーなどに多大な影響を与えた。

※9『旗本退屈男』
『旗本退屈男』は、佐々木味三津(1896〜1934)による同名大衆小説を映画化したもの。シリーズ化され、サイレント時代から昭和中期までに30本が製作された。またテレビドラマとして何度もリメイクされている。 映画の主演は一貫して市川右太衛門が演じ、テレビドラマでは高橋英樹や、市川の次男である北大路欣也によって演じられた。 作品の主人公は「旗本退屈男」こと早乙女主水之介。無役ながら1200石の直参旗本である主人公が、市中で起こる怪事件解決にあたる。事件の裏には常に巨悪が潜んでおり、持ち前の行動力と剣術で解決していく。事件解決にあたる同機は「退屈だから」。 彼のトレードマークは額の三日月形の傷、いわゆる「天下御免の向う傷」。作品中の決め台詞としても有名。

※10『丹下左膳』
映画『丹下左膳』は林不忘(はやし ふぼう〈1900〜1935〉)が毎日新聞に連載していた小説を映画化したもの。翌昭和3(1928)年に初めて映画化されて以来、多くの映画やドラマが製作されている。 主人公である丹下左膳は、小説の連載当初は『新版大岡政談』の登場人物の一人に過ぎなかった。しかし、隻眼隻腕の異様な姿の侍という設定に人気が高まり、映画では丹下左膳が主人公として描かれた。(後に小説も「丹下左膳」に改題している。) 作品は波瀾万丈のあらすじと、スピード感ある派手なチャンバラが特徴の痛快時代劇。多くの俳優が丹下左膳を演じているが、なかでも伊藤大輔監督と大河内傅次郎主演の『丹下左膳』は迫力があり、映画館が興奮した観客の声援でどよめいたとも言われている。大分訛りの傅次郎による決め台詞「シェイは丹下、名はシャジェン」の言い回しはよく真似られた。

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