第8回 映画の新たな時代

 敗戦からしばらくは貧しい国だと思われていた日本も、高度経済成長期※1を経て1980年代になると世界の中でも裕福な国であることが自明の常識になっていました。しかしそれに伴い、映画を見る日本人が減ったと言われます。その理由として海外旅行やゴルフ、食べ歩きなど映画よりぜいたくな楽しみが身近に増えたことが挙げられます。また豊かさは高学歴化が生みました。高学歴化による進学競争は中高生の映画館離れを増長した要因の一つと考えられています。また、1960年代後半からはロックなどの音楽を好み、ミュージシャンを自分たちの代弁者だと感じる若者も少なくありませんでした。かつての映画ファンは10代で映画の魅力を知り、大人になるにつれて目が肥え、鑑賞に耐える作品を求め映画館に通うことで育まれてきました。そのため映画の魅力を知る年齢の若者が映画館を訪れなくなることは、映画業界にとって大きな打撃でした。

 
 しかし、人々は映画を見なくなったのではなく、テレビで映画を見る人が増え、さらに1980年代後半からはビデオで見る人が急速に増えていきます。こうした流れを受け映画業界は、テレビでは容易にやれない大スペクタル作品や高度な表現を追求した芸術作品、一般視聴者を対象としているテレビでは避ける題材(政治的・思想的に物議をかもし出しそうなもの、あるいは暴力や性的な要素の強いもの)などを多く取り上げるようになりました。また、資金を集める力があれば誰でも映画を作れるようになり、内容と形式の多様化が進行しました。

 これまでの映画業界のシステムを覆したとも言われる角川映画とならんで大手並みの映画会社に成長したフジテレビからも多くの大作が誕生しました。フジテレビの映画制作は1983年の『南極物語』※2を皮切りに、『ビルマの竪琴』(1985年)※3、『私をスキーに連れてって』(1987年)に始めるホイチョイ三部作※4のほか、『Love Letter』(1995年)※5のようなアート系映画も手掛けました。その後、大量宣伝によるメディアミックスの成功は他局の映画進出も促し、さらにはテレビドラマも映画の重要な題材となりました。その成功例の一つである『踊る大捜査線 THE MOVIE』(1998年)※6は同年の日本映画に於ける興行成績トップを記録しました。

 大手映画会社の困窮に伴い、ある意味では大手の束縛が抜けた環境では、助監督などの現場経験を持たない監督も活躍を始めます。情報誌『ぴあ』主催の自主映画フェスティバル(ぴあフィルムフェスティバル)※7では、森田芳光監督※8中島哲也監督※9成島出監督※10矢口史靖監督※11など、現在の日本映画界で活躍する監督を多く輩出しています。

 1990年代後半から2000年代は、世界の映画祭を中心に日本人監督への注目が高まりを見せます。1997年にヴェネツィア国際映画祭※12の審査員を務めた塚本晋也監督※13のほか、同年に北野武監督の『HANA-BI』※14が同映画祭で金獅子賞を受賞。今村昌平監督の『うなぎ』(1997年)※15カンヌ国際映画祭※16で、新藤兼人監督の『生きたい』(1999年)※17モスクワ国際映画祭※18で、宮崎駿監督の『千と千尋の神隠し』(2001年)※19ベルリン国際映画祭※20でそれぞれ最高賞を受賞しています。また、2009年のアカデミー賞※21では『おくりびと』※22が外国語映画賞を、加藤久仁生監督の『つみきのいえ』※23が短編アニメ映画賞をW受賞するという快挙を成し遂げました。近年では、日本人俳優への注目も高く、2004年に是枝裕和監督の『誰も知らない』※24に主演した柳楽優弥がカンヌで男優賞を受賞し一躍注目を集めたほか、また、2010年には若松孝二監督の『キャタピラー』※25で、寺島しのぶがベルリン国際映画祭で主演女優賞を受賞するほか、モントリオール世界映画祭※26で李 相日監督の『悪人』※27で深津絵里が最優秀女優賞を受賞しています。

 1998年中田秀夫監督の『リング』※28に始まった若手作家による和製ホラーブームや、2004年行定勲監督の『世界の中心で、愛をさけぶ』※29などに代表される恋愛小説原作のメディアミックスによるヒット作が純愛映画ブームもたらしたことも近年の特徴の一つです。また、篠田正浩監督の『梟の城』(1999年)※30、大島渚監督の『御法度』(2000年)※31、市川崑監督の『どら平太』(2000年)※32、山田洋次監督の『たそがれ清兵衛』(2002年)※33など古参監督の作品によって時代劇が再び見直されると同時に高まりを見せ、2010年には『必死剣鳥刺し』※34『十三人の刺客』※35『武士の家計簿』※36『最後の忠臣蔵』※37など、数多くの時代劇が公開されました。

その一方で、『Shall we ダンス?』※38がアメリカでリメイクされるほか、『ラスト・サムライ』(2003年)※39『SAYURI』(2005年)※40など日本を題材としたハリウッド映画で渡辺謙や真田広之などの日本人俳優が海外進出を果たし、その後もクリント・イーストウッド監督の『硫黄島からの手紙』(2006年)※41などの海外の映画作品で活躍する日本人俳優が続々と登場しています。

 そして、これまでトーキー、カラー化、ワイド化と革命を続けてきた映画界は、デジタル環境がさらに進化し、デジタル3D映画※42という新たな革命を遂げました。2009年は“3D映画元年”とも呼ばれ、多くの3D映画が登場しました。そして2010年には日本国内の外国映画での興行収入上位5作品まで3D作品が占めており、3D映画が一気に開花した年となりました。


=参考文献=
佐藤忠男著「日本映画史増補版3」(岩波書店)
盛内政志著「盛岡映画今昔」(地方公論社)
東宝株式会社発行「東宝75年のあゆみ」
キネマ旬報映画総合研究所編「映画検定 公式テキストブック改訂版」(株式会社キネマ旬報社)

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