第1回 『映画の街盛岡』の歴史

 映画と盛岡の関わりはとても古く、明治初期に活動弁士が活躍する活動写真が大衆劇場で上映されていたところから始まります。大正4年(1915年)、生姜町(現南大通)に活動写真専門の「紀念館」が誕生し、その後内丸座や藤沢座といった劇場も活動写真館へ衣替え。さらに長町(現長田町)に第二紀念館も誕生し、「映画の街盛岡」が幕を開けました。
 やがて盛岡にも鉄道が開通し、駅の開業や開運橋の架橋もあり、大通・菜園地区が盛岡発展の要と考えた地元実業家(木津屋八代目・池野藤兵衛、分家の池野三 次郎、三田商店創業者・三田義正)が大正15年(1926年)南部家43代当主利淳に直談判し、当時手付かずだった2万坪を超える広大な水田の払い下げに 成功。大通は岩手県内初のアスファルト舗装、街頭や銀杏並木といったモダンな街となりました。
そして昭和10年、さらなる発展には娯楽施設が重要と、大通に初の映画館「中央映画劇場」が建設されました。その3年後には「第一映画劇場」が誕生し、東 宝の直営館となりました。戦後も昭和25年(1950年)に「中央ホール」、昭和30年(1955年)に「盛岡日活」、昭和31年(1956年)に「盛岡 東映」、昭和33年(1958年)に「盛岡松竹」と相次いで開館し、ここに映画館通りが誕生。盛岡は名実ともに東北を代表する映画街になりました。
 テレビの普及などの時代の流れの中で、既存の映画館は徐々に数を減らし、市内映画館は映画館通り周辺の6館16スクリーンとなりました。しかし映画をこよ なく愛する市民は今も数多く、映画館通りを、そして「映画の街もりおか」を未来へ継承しようという活動も活発に行われています。長い年月の中で育まれてき た盛岡の映画文化は、また新たな歴史を刻みながらこれからも受け継がれていくことでしょう。

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