第3回 子供たちと映画

 現在の映画館は入れ替え制が通常で、一通り観終えると帰るのが当たり前ですが、以前の映画館は一度入場したら一日中何度も繰り返し映画を楽しむことができました。
 「お弁当を持ってきて、朝から夕方まで映画を観る子供たちもいたり、映画で流れている音楽や振り付けを覚えるまで何度も何度も観る人もいましたね。」映画は庶民の大衆娯楽ですから入場料も安く、映画館の建物も広かったので、戦前は学校から帰ると夜までいられる子供たちの遊び場ともなっていました。 「上映の最中に赤ちゃんが泣きだしたら、女性スタッフがあやしに行ったし、途中で飽きた子供たちは廊下で遊んでいました。売店で何か買ったり、時には『うるさいよ!』なんて言われてりしてね。今は入れ替え制になったから、そういうこともできなくなったし、構造上、映画を観る為だけに造られているから子供の遊び場でもなくなりましたね。」

 最近では一部のシネコンで赤ちゃん連れでも映画を楽しめる機会を設けているところもありますが、映画館で子供たちが遊ぶ姿を観ることは無いに等しいといえます。しかし、戦前〜戦後まもない頃の娯楽の中心は映画。近所のおじさんおばさんも、子供も親も、みんなが揃って映画館で映画を楽しみました。またその建物も2階建ての大きな物です。そのため映画館は、映画を観る場所というだけでなく、社交場としての役割も果たし、家庭的な雰囲気があったようです。テレビがまだ普及されていない時代には、時には鈴なりの人で溢れかえるほど活気に満ちた映画館のなかで、多少子供たちが騒いだとしても、赤ちゃんが泣いたとしても、劇場スタッフの配慮もあって、みんなが映画を楽しむことができました。鑑賞の途中で観客に仕事の呼び出しがあったときは、映画館のスタッフが客席をまわり、小声で「○○さんはいらっしゃいませんか〜?」と声をかけて回ったりもしていたそうです。とても人情的でおおらかな時代であったことが伺えます。

 また、1980年代(昭和50年代中頃〜)頃に完全入れ替え制が全国的に普及するまでは、朝一番で映画館に行って2〜3回繰り返し観る人も少なくありませんでした。そしてその入場料も松竹、東映、日活、中劇などの一番館が120円〜140円、内丸座や銀映、セントラルなどの二番館は50円台〜70円台(※昭和34年の金額)と、高額では無かったことから、映画好きな子供にとっては、丸一日夢の世界に浸っていられる、とても親しみやすい場所でした。ちなみに、斎藤さんによると、「映画館の入場料と床屋の値段は昔から同じくらい」なのだそうです。

 昭和中期までの子供たちにとって映画が身近であった理由は、映画館が出入りしやすい場所であったことの他に、学校でも積極的に映画鑑賞を授業に取り入れた時代ということもありました。 「戦前、戦後もひと頃までは、学校で映画の上映会をしていました。私は戦中城南小学校に通っていましたが、1年生から3年生は体育館で、4年生以上は映画館で、というように分けられて映画を観ました。今も世紀の傑作と名高い『ベルリンオリンピック 美の祭典』や『風の又三郎』の最初の作品なんかは映画館に行ってみんなで観ましたよ。昭和50年代頃は中学生に歌舞伎の実演を観せたり、オーケストラを聞かせたりと、子供たちに良い芸術作品を積極的に見せようという動きがありましたが、統合によって学区が広域になったことや、交通事情等もあって最近はこれも中止になっているようです。」

斎藤五郎さん

1930(昭和5)年盛岡市八幡町生まれ。父親が衆楽座、旧盛岡劇場の舞台装置師だった関係で幼少より舞台に慣れ親しむ。独立映画社轄痩f社に入社し支配人として東京、秋田、弘前、盛岡などの映画館に勤務。
岩手県民会館設立メンバーとしてスカウトされ、事業課長、施設課長を勤められた後、盛岡市民文化ホールの初代館長となり、市内の舞台芸術関係者の育成と芸術文化の振興に貢献。現在、社団法人岩手県芸術文化協会副会長を務める。
映画館の支配人の経験を活かし、みちのく国際ミステリー映画祭実行委員会委員として同映画祭を成功に導く。
岩手県教育表彰(学術・文化)、NHK東北ふるさと賞、県・市芸文協表彰、市勢振興功労者などを受賞。
お問合せ/盛岡市商工観光部商工課 岩手県盛岡市内丸12-2 TEL:019-651-4111
Copyright Cinecitta@morioka All Rights Reserved.